銀座ウエストでキラキラを補充する

キラキラがちょっと足りてないかなぁ…、と思って銀座のウエストに来た。
午後の時間が自由になった今日であります。
ウキウキしながら銀座を歩く。昼ご飯を食べた銀座の京橋よりから10分近く新橋方面に向かって歩く。今日は汗ばむ陽気の1日。額の朝もキラキラしてます。到着です。
新入社員の季節だからでしょう…、お店の中にサービススタッフが溢れてる。新人さんに一人先輩スタッフがついて一緒にサービスをする。
人を育てることにおいて、手間と時間をかけ丁寧に一緒に働き付き合っていく。それが王道。他に方法はないんだろうなぁ…、としみじみ思う。
アイスコーヒーをたのみます。

テーブルの上はいつもどおりにキラキラしてます。ピカピカに磨き上げられたピッチャー2つ。1つはガムシロ、1つは生クリームが入っててどちらも本体に対して取っ手が直角に取り付けられているというのがここの独特。脇を締めたまま優雅に注げる配慮がうれしい。
お店のロゴを箔押しした小さめのタンブラー。冷たいままに飲み干して、どうぞおかわりをしてくださいというメッセージ。酸味おだやかで、何杯のんでもお腹を重たくしないところがありがたい。
かちわりにしてグラスに入れる前に洗って、表面なめらかにした氷です。溶けにくい上、グラスの中の温度をずっと保ってくれる。ピッチャーの中の生クリームは乳脂肪分の多い上等。注ぐとずっと氷の上に漂ってなかなか沈まぬおゴチソウ。

サンドイッチをたのみました。
ハムと玉子のサンドイッチ。
ライブレッドを選んでトーストしてもらう。
ひと組サンドイッチを6切れにして矢車状にキレイに並べる。
ひと切れ分がちょうど舌の上にのっかるほどよいサイズで、前歯や唇を汚さぬように食せる配慮。
ライブレッドは麦の香りが鮮やかで、たまごサラダは玉子の香りと味わい濃厚。ハムはむっちり上等なモノとおいしくするための手間やコストを厭わぬレシピ。
ちなみにアイスコーヒーと一緒にたのむと2000円を超える価格も上等です。
ほとんどのお店が常識的に考えてサンドイッチつけることができる値段で売ろうとする。値段に合わせて料理を作るとそのほとんどの店の料理と同じになっちゃう。おいしいと思う料理を無理ない値段で売ることが、本来、飲食店において大切な料理づくりの基本なんだ…、としみじみ思う。

カサカサとしたパンの食感をあっという間になめらかにするたまごサラダやハムのたっぷり。搾り器におさめられてるレモンの皮がキレイに削られ、酸味以外の苦味やエグミを極力排除する気配りが、なんともステキでありがたい。
アイスコーヒーのおかわりをする。すると当然のようにグラスも一緒に交換となる。なかなか溶けぬ生クリームを混ぜるために使ったマドラー。下皿に乗せるたと同時にコーヒー垂れて、テーブルクロスを汚してしまう。
「ごめんなさいね、汚しちゃった」というとそんなことなど気になさらず。それをキレイに整えるのが私たちの仕事ですからと笑顔で答えるやさしさに、ニッコリしました。店に流れる音楽がスメタナのモルダウだった、今日の午後。

 

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コメント

  1. りんご

    似て非なるもの、キラキラとギラギラ。
    評価の基準を自分にするか他からの視点にするかの違いなんでしょうか?
    性別や容姿、年齢に関係なく、キラキラ成分を含んだ生活って素敵です。

    • サカキシンイチロウ

      りんごさん
      銀座という街の最近やっかなところが、キラキラとギラギラを混同した店や場所が増えてきていて、しかもそのほとんどが気づくとギラギラに転落してしまうところ。
      とはいえ、丁寧に、注意深く街をあるけばまだまだキラキラが残っているのも銀座という街のうれしいところ。毎日をキラキラさせるためには、ギラギラとキラキラを区別するトレーニングをすることも大切。銀座はそういう貴重な場所になりました。

  2. koku

    私は「心にエネルギーを与えてくれる」のがキラキラで、「心のエネルギーを奪い取る」のがギラギラと単純に考えてます。

    かなり明確な正反対なので、それを感じること自体がごっちゃになることはないのですが、
    「キラキラがエネルギーをくれる」のではなく、「エネルギーをくれたものがキラキラ」なのが難儀だと思うんですね。

    りんごさんの仰るようにキラキラとギラギラは汽水域みたいなもので、明確な線引きがない。
    つまり、心が判断するまで自分でも解らない。ギラギラと感じたときには、既にエネルギーを奪われた後の状態なわけです。

    モチロン人によってどこまでが川か海か全く違うのもあるし、同じ人でも年齢によって、時代によって、
    またその時の心理状況によって、キラキラと思っていたものが今日はギラギラになっていることもあると思います。

    私は・・・飲食店に関していえば、そのお店を応援したいから通うというのもありますが、
    それ以上にエネルギーを奪われるリスクが嫌であまり新規開拓しなくなってしまった。
    エネルギーを奪われると仕事やそれ以外の事象においても影響を受けてしまうチキンハートなもんですから。

    近年、どうもそういう機会が増えてしまった気がしてます。
    たまに知人に予約取れたからとお誘い(という名の強制参加。もちろん自費・・・)を受け大人の財布が必要な店に行くのですが、まったくといっていいほど楽しめなくなりました。
    周りは楽しんでるのです。でも私には、大将のトークやカメラ目線を撮るために諭吉さん飛ばしてるんだろうかと本気で思ってしまうこともしばしば。そういうお店はどこも見た目は落ち着いた佇まいだけど、ギラギラしてます。

    でも、以前はそうじゃなかった・・・ま、私がトシを取っただけなんでしょう。

    • サカキシンイチロウ

      kokuさん
      ギラギラが眩しすぎるように感じたのが若い頃のコト。
      そのギラギラの中に自らの身をおいても暑苦しく感じなかったのがボクが青年時代。まさにバブルの時代でした。
      60ちかくなった今では、ギラギラしたものが暑苦しく面倒くさく、なるべくギラギラからは遠くにいたいと思うようになった。それを歳をとったと思うとちょっとさみしくて、ボクは「ギラギラを必要とない本当の大人になった」と思うようにしています。
      ギラギラとしたエネルギーを必要とせず、自らを燃やすことで十分シアワセを得ることができる大人。歳をとるってステキなことだなぁ…、としみじみ最近、思います。

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