金のおにぎりと天白のかつお出汁「かつおとぼんた」

渋谷で朝をはじめる雨の日。昨年、出来たばかりの渋谷ストリームって再開発ビルの二階で朝食。
「かつおとぼんた」にやってきてみる。
もともと護国寺に「ぼんご弐」ってお店があって、大塚にあるおむすびの名店「ぼんご」の暖簾分けのような形でやってたのだけれどあまりに内容がかけ離れはじめてそれで「ぼんたぼんた」って名前に変えた。
店名を変えてしまったらあとはコロコロ転がるように二転三転。ここでは「金のおにぎりと天白のかつお出汁 かつおとぼんた」ってすんごく長い店名の店を作るに至った。朝はおにぎり、昼は丼、夜は酒とおつまみとやれるものはなんでもやってて、夜のメインがおでんということ。そこでおいしいかつお出汁の出番…、ということになったのでしょう。
テイクアウトのカウンターが店の表に設えられててパッケージに入ったおむすびが並べられてる。今日みたいな寒い日はこの過酷な環境の中ではたしてそのおむすびはおいしい状態なんだろうか…、と訝しく思ったりする。かわいそう。

お店の中で食べるおむすびは作りたて。
ぼんご譲りの作り方で、型にふっくらご飯を入れてテキパキ、やさしく握ってく。
笑顔かわいいお嬢さんがおむすびを作っている景色はゴチソウ。
ただただニッコリしてしまう。
好みのおむすびをたのんで160円追加すると、味噌汁と唐揚げ、小さな卵焼き。漬物なんかがついてくる朝食セットがあってそれ。
南高梅と手仕込みツナのおむすび選んだ。南高梅は玄米ご飯、ツナは白米と作り分けてもらって食べる。
ぼんごのおむすびに通じる不思議なおむすび。持つと予想以上に重たいのです。ならばぎっしりご飯同士がくっついているかというと口の中でハラリとちらかる。おむすび型のご飯があっという間にむすぶ前のご飯に戻っていくような感覚とでもいいますか…、空気をたっぷり含んでいるはずなのに重たい。舌がお手玉するほど熱々だし、塩がバッチリきまっているのに味わいやさしい。オモシロイ。

うちの料理はおいしいよ…、ということを何を理由に説明するのか。みんなそこに一生懸命になって最近、「産地」「銘柄」にこだわる風潮が結構強い。ここも一等米を使っているから、それをおむすびに適したようにブレンドしているから、鰹節はお伊勢さんに奉納しているのと同じ物とか一生懸命。
でもそれなら米屋や鰹節屋が作ればもっとおいしいのかい…、ってヘソが少々曲がってしまう。
おいしい理由は何をおいてもこれを笑顔で作ってくれるお店の人の一生懸命。でもそれを作りたてでなくお持ち帰りで売ろうとすると訳の分からぬ付加価値やストーリーを売らなきゃいけなくなっちゃうのでしょう。デパ地下で売られるもののほとんどがそういうムードで売られていたりするのと同じ。もったいない。作りたてのおむすびを作ってくれた人の視線を感じつつのんびり食べる時間はシアワセ。汁もおいしく味噌もよし。薄切りタクワン二枚が斜に並んでてそれがハートマークのように見えてニッコリ。おじさんの朝。

 

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それにしてもゴーストタウンのようなフロアです。渋谷駅の改良工事が終わればおそらく地上に匹敵する人の流れが生まれるのだろうと思うのだけど、今はビルのメイン動線から外れてて、上には何千人もが務めているのに通勤時間にあってまるで人がいない。これから渋谷にはこういう不思議な場所が次々生まれていくんだろうな…、と思う。おそろしい。
ディーンアンドデルーカで朝のお茶。ラテをもらった。
エスプレッソとフォームドミルクでキレイに描いた模様にウットリ。店で飲みますと言っているのにぼんやりしてるとリットをかぶせる。プラスティックの無駄使いであると同時にこのせっかくの模様を見せぬおとぼけサービス。もったいないなと思う朝。

 

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コメント

  1. miatamore

    どこそこ産地の素材を厳選したこだわりのなんとか...というフレーズが氾濫するようになった原因にはマスコミにもあるような気がしています。取材仕事の通訳をしていると「こだわりはなんですか」という質問がいつもついて回り、具体的な産地名や有名なブランドを聞き出せると取材する側が安心してそれを記事にして終わり。本当は、そこから取材者が何を感じ取って、どう考えたかを書くべきだと思うのですが。いつも感じるジレンマです。

    • サカキシンイチロウ

      miatamoreさん
      その取材した人の安心を消費者が感じ取って、それをそのまま受け入れる。そう言えば老舗でお客様からの全幅の信頼を得ているお店は、店そのものがブランドだから他のブランドを必要としないのでしょうネ…、銘柄性とか産地性とかをあからさまにアピールしたりしませんものネ。
      頭や知識で食べるのでなく、自分の感覚を信じて食べることをしなくてはならないように思います。

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