散歩する侵略者

映画を觀ます。珍しくも日本の映画。好きな監督の作品で「散歩する侵略者」という題名。黒沢清というかなり独特の作風を持った監督で、初期の頃はホラー映画をよく撮っていた。最近では「クリーピー」なんていう、目に見えぬ怖いモノにおそわれるホラーではなく、狂った人間が起こすホラーと呼ぶにふさわしい陰惨な事件を描いた作品なんか撮っている。

題名の通り、侵略者の話です。
宇宙から来て、地球を征服せんがために人類を殲滅しようとする存在。
彼らと果敢に戦おうとするも結局、ほぼ果たせずに、あぁ、もう人類は終わってしまう。
人類は終わっても地球が終わるわけじゃないから…、とうそぶく宇宙人に結局最後は愛の力で地球を我が手にとりもどす…、という、そんな映画は今までたくさん撮られてる。
でもそれらのどれとも違った不思議なこの映画。

まず、ほぼCG無しの映画というのが地球征服モノとしてはあまりに異色。
しかも宇宙人がやってくるのは、ニューヨークでもロサンゼルスでも、あるいはロンドンでもなく日本の有名でも何でもない地方都市。
人類を滅ぼすためにまず人類のコトを知らなきゃいけないからと、人間の脳や人格をのっとるのだけどそののっとる相手が女子高生だったり情けない間男だったりするワケです。
でもその設定がとてもリアルで、だってボクがもし宇宙人で、地球観光でなく征服のための下調べが目的だったら、ニューヨークなんかにはいかないもの。
目立たぬ町の目立たぬ人に乗り移り、じっくり観察。
好機を狙って潜伏するに違いない。

人に乗り移り、彼らは人すら人から「概念」というものを収集する。
概念を宇宙人にとられた人は、永遠にその概念を失うのだけど、案外、特定の概念を失った人たちはその概念にまつわるこだわりから開放されて自由になったようにみえる。
あぁ、人間ってそんな存在なのかもしれない。
しかもとある概念を失うことで自由になった、その理由は何とまた新たな概念を得ようとする。それがちょっと哀れで滑稽だったりするのがまたオモシロイ。

人とは頭で生きているのか。それとも頭以外の、例えば心で生きているのか。
そういうことを考えさせられる中盤から、一転、結局、どんなコトがあっても人類を征服するんだと一気呵成にコトをすすめる宇宙人から、人がかろうじて救われるそのきっかけが「愛」であるという、そのくだり。ハリウッド的に描けばおそらく鼻白むようなシーンがとてもいいのです。
泣いちゃったもの。
静かに淡々と、たとえ戦争がはじまりそうになる瞬間も静かに運ばれる物語が、愛に触れた途端に熱く走りはじめる。上手いなぁ…、と感心します。
なによりメインキャストの松田龍平と長澤まさみがすばらしい。松田龍平なんて血の通っていない宇宙人にしかみえないし、強がっていても結局愛を信じてしまう長澤まさみの愛らしいコト。予算にもCGにもたよらずただただ物語の力と演技、そしてカメラの力でこんな映画が出来る…、日本映画も捨てたもんじゃないって思ったりする。
ちなみに放題の「散歩する侵略者」もいいけれど、「Before we vasnish」という英語の題名も見事でステキ。どちらも映画の内容を正しく伝えて膨らます。オキニイリです。いい映画。

コメント

  1. みやはら

    こちらの映画なら見ることできますサカキさん、ホラー好きだから、そちらはちょっと、無理なんですよね。こちらは大丈夫です。松田龍平もいいですねー。非常に面白そう。ぜひ、見たいです。殺し合いや、殺人はニュースだけでもう結構です。

    • サカキシンイチロウ

      みやはらさん
      痛くないんです。怖いけれどそれは心理的な怖さで冷静に、自分に置き換えたらどうなるんだろうと息をこらしてみてしまいました。
      いい映画です。ぜひ。

  2. りんご

    大学の教養課程で哲学を選択したとき、「脳なくして心はあるか、心なき脳に意味はあるのか」という文章に出会ったことがあります。
    人間を動かしているのは脳だとわかっていても、きゅんとしたり、はっとしたりするときに手でおさえるのは胸だったりしますよね。頭は抱えません。
    実態のありそうでなさそうな<概念>も、頭と胸どちらでとらえているものなのでしょうか?
    秋の夜長が明けてしまいそうです。

    • サカキシンイチロウ

      りんごさん
      人は概念の中に行きているのかもしれません。
      言葉がなくては概念はなく、言葉を操る人の自我と人をとりかこむ環境が混じり合って概念が完成していく。
      ならば環境が変われば概念も変わるのだろうか…、なんて考えはじめると秋の夜長でも足りなくなってしまいますね。

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