富士山眺めて空飛んで、徳島に来る月曜日
飛行機に乗って西に向かってひとっ飛び。
上空の風が強いのか空はクリアで、雲は少ない。
向こうに見える富士山も今日はクッキリ。
頂きの雪、山肌、麓と全容見せる。
こうしてみると富士山って、大きく崩落した場所がある。
頭のなかにある富士山は完璧にしてうつくしき山…、その富士山も決して完璧ではないというのにしみじみ、ホっとする。
徳島につき、バスで移動で駅前に来てスターバックスでコーヒーを飲む。
ジンジャーブレッドをモチーフにしたコーヒー・ドリンク。ポッテリとした泡がおいしくなめらかで、シナモンの香りがちょっと切ない感じ。クリスマスだなぁ…、間もなく本当にクリスマスってニッコリします。さぁ、仕事。
打ち合わせから会議をいくつかこなしてランチ。
試食を兼ねた食事とします。
「塩ごころ」といううどんのお店。
自家製麺でおいしい出汁にこだわっている気軽な店で、冬の今の時期だけの人気の商品。
鍋で煮込んだうどんを食べる。
うどん屋さんは日本全国、今や大変。丸亀製麺というプライスキラーが業界席巻。あるいは業界「破壊」と言ったほうがいいのかなぁ…、どこもが当たり前の値段でうどんが売れなくなった。
うどん一杯300円くらいで食べられちゃうから、丸亀製麺が売らぬうどんを作らなくっちゃお客様に喜んでいただけなくなってしまった。
もつ鍋うどん。
丁寧にとったかつおと昆布の出汁にホルモンどっさり。ホルモンから出た脂がキラキラ漂って、よく煮たうどんにしっかりからむ。
出汁そのものが昆布の甘みを持っているのに、そこに脂の甘みがまじる。すき焼きの〆のうどんのような甘みで、けれどスッキリ。後口ペトペトしないところがありがたい。
ニラがタップリ。にんにくスライスに輪切りにした赤唐辛子もどっさり入って、風味や辛味がよきアクセント。
グツグツ煮ても壊れぬうどん。やわらかなのに崩れることなく、スベスベトロリと口の中で暴れる感じがかなりのごちそう。体に滋養が染み渡るような冬のゴチソウ。また仕事。
そして夜。駅に向かう途中で再び試食を兼ねた今度は夕食。
「塩ごころ」を営業している会社がやってるお好み焼き屋さん。
ヴァンサンカンという店で、ちょっと変わったお好み焼きを…、とワクワクします。
お店の中はシニア顧客がかなり目立ちます。
ここに限らずお好み焼き屋さんのメインの顧客はシニア客。
やわらかくって軽い食感がシニアの口やお腹に良いというコトもある。
けれどお好み焼きというモノに特別な思いやなつかしさを感じる世代が中年以上。それに比べて若い人たちがあまり好まぬ料理になった…、という背景があるかもしれない。
ボクの学生時代に、放課後食べる買い食い料理の最たるものがお好み焼きだったモノ。今はそういう時代じゃない…、って若い人たちが言っていた。
時代の料理ってあるんだろうなぁ。時代から外れる料理は市場がユックリ、けれど確実に小さくなってしまうから商売するのが難しくなる。ナヤマシイ。
さておすすめのちょっと変わったお好み焼きは「フィッシュカツお好み」というモノで、徳島名産のフィッシュカツを一枚乗っけて焼くお好み焼き。ふっくらとした生地に埋まるように焼きあがる、ザクザク歯切れるフィッシュカツ。歯ごたえ、歯ざわりおもしろくカレーの風味が食欲誘う。
自家製麺の生ラーメンを注文入って茹でて作った広島お好み焼きも一緒に。バサバサ散らかる麺の食感がたのしくて、キャベツタップリ。焼いた玉子の香りもおいしい軽い仕上がり。食べ心地。たいそう美味しゅうございます。
ふと思ったんですが、同じ麺でもラーメンはその反対をいってますよね。安いだけのラーメンもたくさんあるけどやっぱり高い個人店が強い。
この違いはモチロン、スープにコダワリと違いが出せるから・・・とは思うのですが、なんでこれをうどんでもやらないんでしょうか。豚骨スープのうどんはやっぱダメなんですかね(笑
と、ここまで書いて、でも決してバラエティが多くない蕎麦も、個人店がそこまで厳しいという話は聞かないよな、と思いました。蕎麦も安いチェーン店はそれこそ立ち食いを含めてたくさんあるけど、やっぱり個人店はそれなりに付加価値をつけた値段に出来てますよね。
この違いってなんですか? やっぱり十割蕎麦かどうかですか? でも高い個人店でも十割じゃないところはたくさんあるし・・・
kokuさん
ラーメンは自由な料理ですよね。
350円のラーメンも、1200円のラーメンも同じラーメンというカテゴリにくくられる。
スープが多様であるということ以上に、その上に載せることができるトッピングの自由な世界で、創意工夫が許されるのでしょう。
蕎麦はその対極にあって、伝統的で自由な解釈が嫌われる世界。ただ、蕎麦というのは最初からお腹を満たすというコトに責任をとらなくてすんでいた。だから「お酒をたのしみながら蕎麦」というような世界を作り出すことに成功したのだろうと思います。
一方でうどん。
ラーメンのように自由自在ではない。
蕎麦のようにお客様を突き放した個性もない。
昔から、手軽にお腹をいっぱいにすることができる料理として愛されていたから、個性的にさまざまなコトを突き破ることがむつかしいのでしょう。
天ぷらがおいしい高級うどん店があったりします。その値段はうどんの値段ではなく天ぷらの値段。
つるとんたんなんてうどん屋さんは、三玉までうどんは同じ値段で…、というちょっとラーメン店のようなやり方で行列を作っている。
自由自在に考えれば、うどんのお店も生き残ることができるのだろうと思うのですけど、その切り口を見つけるのがむつかしいのでしょうね。
お返事ありがとうございます! 大変勉強になります。
なるほど、蕎麦は「食事」じゃなくて「嗜好品」なのか・・・自分の中ではそういう意識がなかったので、この視点は目からウロコでした。
でも、うどんや蕎麦は本当に自由自在にできないんでしょうか・・・そこが引っかかります。
そこでラーメンについて考えたのですが、一つ思ったことがあります。
ラーメン、日本では多彩なんですが、もちろんもともとは中国から来たもの。
だけど、私も何度か行って食べたことありますが、スープはほとんどシャンタンですよね。
いろんな食材から出汁を取ってはいますが、ほとんどが出汁と塩や醤油だけの透き通ったスープ。
これ、日本のうどんですよね、つまり。
おそらく中国ではあまりにラーメンが日常で、かえって多彩な発展をしなかった、というより「手を加えることを、文化と歴史が許さなかった」のではないかと。
今でこそ日本の国民食とか言われるけど、昔の日本では、ラーメンは外から入ってきた「異端」の食べ物だった。
だからかえって、いろいろ手を加えることに「罪悪感」を感じなかった。
だから結果として多彩な食べ物になったのではないだろうか。
そして日本において「手を加えることに、文化として、歴史として罪悪感」がある食べ物がまさにうどんや蕎麦だから、あくまで出汁が命、豚骨スープのような脂ぎって味が濃いだけのスープに投入することを許さないのではないか・・・
逆にいえば、うどんや蕎麦は、外国に持ち出してこそ、多彩な食べ物になるのかもしれません。
どうでしょう。でもこれ、他にも言えます。だってイタリア料理のパスタ、イタリア国内に留まっていたら、絶対に明太子パスタなんてこの世に生まれなった(笑 探せばそういう事例は他にもたくさんあるんでしょうね。
面白いなあ。
kokuさん
日常食というのは、シンプルであることが生き残る条件だと思うのです。
中国にいって、ずっと食べられているスープ麺がみんなシンプルであるのは、長い歴史の中で様々な試行錯誤の末、生き残ったモノがそれだったということじゃなかとも思うのです。
翻って日本のラーメン。
毎年のように新しい味を提案し、ブームを作り出すことによって、今のような価格帯で販売するビジネスモデルが維持されている。
でも案外、短命なお店も多いのです。
今のラーメンブームが一体何者であって、結局、どこに落とし所を見つけるのか。多分、10年位な時間がかかるんじゃないかと思ったりします。