哭声/コクソン

映画を觀ます。
「哭声/コクソン」という韓国映画。
最近、韓国映画づいてるような感じであります。

韓国映画のオモシロイところは、日本と似ていて、けれど日本と違うさまざまが不思議なファンタジー感を作り出してくれるとこ。
この作品の舞台となっている、緑豊かな山間の村。
そこに建っている木造家屋。
山の形や木の色、生え方。
どれもが日本の田舎の景色のようでもあって、けれど微妙に違うのですね。
家を囲む塀は石積み。生け垣じゃない。
商店の看板は当然、ハングル文字で、道路を走る車は左ハンドルと小さな違いが積み重なって、その違和感に気持ちがざわざわしてくるのです。

平和な村で事件が起きます。
一家惨殺。
理由の分からぬ精神錯乱が引き起こす猟奇的な事件が次々発生し、警察官が翻弄される。
その警察官のひとりが物語の主人公。
小太りで、気のいい呑気な田舎の警官が、事件に触れつづけるにつれ狂気にとらわれ、暴走していく。
だって、何がなんだかわからないのだもの…。
一体なにが原因で、なにが起こっているのか理由はほとんどあきらかにされることなく、憶測だけが渦巻いていく。
謎の日本人がいて、インチキっぽい呪術師が出てきたかと思うと、ワケアリ気味な妖しい美人が姿をあらわす。
主人公の警官がいつしか事件のど真ん中にどっぷりつかって翻弄される…、その翻弄はそのまま観ている観客の気持ちまでもを翻弄していく。

狐につままれたような結末でした。答えを出すのが目的でなく、おどろおどろしさを体験させるのが目的のような映画で、後味悪さは天下一品。
細かいコトは考えず、スゴい演技をたのしむというのが、この映画の味わいどころじゃないのかなぁ…、褌ひとつで野山を駆け回る國村隼さんの怪演を見るだけでも価値のある一本。夢をみそうな映画です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。