高知の「漁ま」で父、想う
今日から慣らし運転の店。
「漁ま」という魚のおいしいレストラン。
お店の真ん中に大きな生簀が作られていて、四国の隅々から運ばれた魚が泳ぐ。
不思議なことに、高知にはこういうお店がすごく少ない。
あっても小さな水槽程度で、それもそもそも地元の魚は外洋魚がほとんどで、生簀で泳がせることが難しかったりするからなんでしょう。
地元の魚も当然ある。けれどそれでは観光客は楽しいだろうけど、地元の人はつまらない。他の地方の魚もあって、その地に根ざした魚のお店になるはずだ…、ってそれでこういう生簀になった。
大きい生簀が真ん中にある。儲けることがむつかしい店になるんですね。
店舗面積に比べて客席の数が減ってしまう。サービスするのにも、生簀をぐるっと回らないといけないこともあったりする。高い天井、生簀の装置と電気代もかかっちゃうしと、それも覚悟の上の店づくり。
なにより日々のメンテナンスが大変なんです。
魚が弱らぬように水を整える。
魚が気持よく泳げるように、いけすの状態をキレイに保ち、魚の相性を見極めて、仲良くひとつのいけすの中で生活できるようにしてあげる。
人間関係と同じように、魚関係というのがあって、ストレスの少ない環境で活かされている魚はおいしい。
だからお店の休憩中にみんな総出で、いけすの状態を整えることに一生懸命。
けれどお客様がやってきて、まず一番最初にいけすの写真をパシャリと撮る。
子供連れのファミリー客がテーブルじゃなくカウンターに座ってみんなでニコニコしながら魚をみてる。そういう景色をみると苦労のかいがある。
生きた魚を使った刺身や焼き物の注文が入ると網ですくい上げる。その臨場感。大きな魚にはすくい上げるのにちょっと苦労が必要で、難儀しながら網の中に追い込んだ時には一斉に拍手が起こったりする一体感。お店の中の空気が一瞬にして明るく活気あるものに変わっていくのがオモシロイ。
ちなみに夜は定食がない。
場所は郊外で、だから普通は定食メニューを充実させる。
でも気軽でたのしい食卓に、本当に定食なんかが必要なのか?
例えば家庭の食卓は本来、定食型じゃないはずで、みんなで料理をつついて分け合う。大人はお酒を、子供はご飯で同じ料理をたのしみ食べる。
だから定食あえて作らず、代わりにおいしいご飯を炊く。注文受けてから作る釜炊きご飯や釜飯。
それをたのんでもらって、料理をおかずにしてもらおうと。
わかってくれるかなぁ…、と心配しながらお客様の食べ方見てたら、みんなそうして食べている。自分のものをただただひたすら食べる寂しいテーブルじゃなく、みんなが料理を分け合う食卓。いいな!と思った。うれしくなった。
料理をいくつか試食する。やっぱりまずは刺身でしょうと、今日のおいしいところの盛り合わせ。鯛にブリ、アジにマサバとズラリと並ぶ。青い魚のキラキラ、キレイで色っぽいこと。
鯛はブリブリ、ブリはゴリゴリ。歯ごたえあって、舌だけじゃなく奥歯に顎、口いっぱいを使って味わう西の日本ならではの味、そして食感。
その食感を思う存分たのしむために、分厚く切って用意する。
ひさしぶりにこんなおいしい鯛を食べた…、と、まず真っ先に鯛の刺身を食べたボクに、鯛にあんまり人気がないんです…、と。高知の人には鯛は食べつけぬ魚のひとつで、なるほど瀬戸内海と太平洋では魚の嗜好もまるで違っているんだなぁ…って、しみじみ思う。
ちなみに刺身の盛り合わせって、大抵、何切れか残ってしまう。
生の魚に飽きちゃうんですネ。日本酒と一緒に食べればまだいいんだろうけど、ビールやハイボールをお供に食べると特にひんやり、体が冷える。それで残った刺身をなんとか酒の肴に出来ないか…、と、粉をはたいて唐揚げにして南蛮酢をかけ一品にする。
気が利いていて、思わずお替わり…、ってビールをおねだりしてしまう。
田舎のおばぁちゃんが作るように作ったという魚のあら煮。
ツヤツヤしていて、絶妙の照り。
しかも香りが昔なつかしい、ちょうど夕方、5時半くらいに街にあふれるおいしい香りに似ていてウットリ。
食べてみれば、これまたおいしい。甘くて濃厚。サイドの豆腐やごぼうに味がしっかり染み込み、骨をつまんで、チュバチュバしゃぶって食べてたら、釜飯がくる。
あら、もう出来た?って思って蓋を開けたらビックリ。中にあおさがたっぷり浮かぶ。
浮かんでいるのは醤油と出汁のあんかけあんで、しゃもじをツッコミ持ち上げたらば豆腐が入っておりました。
オモシロイ。オモシロイうえ、ビール、ハイボールで冷えたお腹があったまり、ここで再びお替わりとなる。酔っぱらい(笑)。
エビの天ぷらを食べながら、周りの人たちが貝焼きつくっているのを肴にぼんやりしてたら、そろそろ〆。
豆腐が入ってたのと同じお釜がやってきて、けれどこれにはしゃもじが蓋に乗っかっている。
蓋をあけると確かに釜飯。焼いた鶏皮、鶏のつくねに鶏そぼろ。
ひっくり返すとオコゲができてて、混ぜると中からお揚げさんとかにんじん、ごぼう、タケノコと具材がたっぷり飛び出してくる。
ご飯はホツホツ。
メリハリきいた味付けで、お酒を飲んだ舌にもおいしいキッパリ味が、高知の人の性格みたいでニッコリしました。満足す。
ちなみにこの店。先日死んだ父の遺作でありまして、企画段階からずっとかかわり完成するのを心待ちにしてた。結局、完成を待たず死んでしまったけれど、見たら絶対喜んだに違いない…、ってしんみり思う。
しばらくじっくり現場の整備をくりかえし、ゴールデンウィークが開けた頃には本格稼働をする予定。またまいりましょうと、さぁ、移動。
お父様の遺作でしたか。
地図に残るような、或いは、家を建てるようなコトは、回数を重ねる毎によりよくなっていくと感じています。そこに関わることがお仕事だと、責任も重いものの、出来上がった空間は、ホントに嬉しいものだと思います。
よろこんでいらっしゃるでしょうね>お父様
その分、杯も進んだご様子ですね(^^♪>サカキさん
りょーさん
この店の完成をたのしみにがんばっていたのですけれど、開店を待てなかった。
高い空からみているだろうなぁ…、と昨日はしみじみいたしました。
サカキさん、こんにちは。
自分のあとを、しっかり見てくれる御子息がいて
お父様はとっても嬉しくいらっしゃると思います。
手掛けられたお店も我が子のようなものかしら?
良いお店になりますように!!
おすぎさん
そう考えると、日本中に何千軒もの兄弟がいるんですね。
なんだかうれしい。
彼らに負けぬようがんばらねばと思います。
素敵なバトンリレー
後継者のいない優良企業が売買される世の中、ガッチリと、バトンをうけとるしんいちろうさんがいらっしゃってお父様は幸せですね。
ちなみに、岡山出身の私は、ブリブリの鯛がなにより大好きです。
浜崎朗子さん
寛大なお客様がいてくれて、バトンがタッチできる。
そう思うと本当にありがたいですね。
ゴリゴリの魚。
東京では夢に見るしかないゴチソウです。
今頃になってお父様のことを知り、言葉が見つかりません。
お料理を分け合うお店、いいですね。
今はもう叶わない、実家の食卓がそうでした。
(夫の実家は、どちらかというと一人一人のお膳って感じなのです)。
お父様が手がけられたお店に、もしかしたらいくつもお邪魔しているかもしれないんだなぁ、としみじみしました。
お父様、にこにことお店の中を飛びまわっていらしたのではないでしょうか。
あーたさん
この店だけは見せてあげたかったなぁ…、と思います。
父が作った作品のない街をあげるのが難しいほど、日本全国に思い出のお店があるのですよね。だから寂しくないや…、と思うコト。
それが今できる一番の親孝行かなぁ…、とも思います。