高松駅脇、おふくろの味・公楽食堂

高松の朝。いつもはホテルのバフェで朝食。けれど今回。朝食付きのパッケージが異常に高くて、それで素泊まり。朝ご飯をホテルの近所ですることにした。

前から気になっていたお店がホテルの向かい側にある。
かつて本州と四国をつなぐフェリーの波止場のあった場所。おそらくその頃は、船着き場の真ん前にあったのでしょう…、周りはズラリと大衆的な宿があり、店が面した道路がまるで渚のように見えてきたりする。
「公楽食堂」という名前。暖簾が揺れて、入り口脇にはメニュー看板。中に入るとおかずが並んだガラスの棚が置かれてて、そこから料理を選んで自分で運ぶセルフサービス。ご飯や汁、丼、うどんは注文すればお店の人が持ってきてくれるという食堂スタイル。

暖簾に「おふくろの味」と書かれているように、おふくろ料理が色とりどり。
天ぷら、鯖焼き、野菜の煮付けや酢の物、サラダ。
朝の時間には卵焼き。
里芋の煮付けがあったり、きんぴらだとか。酢の物をみると茹でたタコの輪切りが一緒に浸かっていたりと、たしかに母が作る料理によく似てる。
どれも食べたく、たのしく迷う。
迷った末に選んだ料理は鯖の煮付けに高野豆腐、卵焼き。
ご飯は一番小さな小。汁は味噌汁。ひと揃え。

ご飯と汁にはタクワンがサービスですとついて来て、カウンターの上は実家朝食のような景色になるステキ。
ショーケースの脇にはボイラーがあり、讃岐のうどん屋ならそこから出汁が出て来るところ。
ココではお茶が沸いていてステンレスのやかんに注いで、どうぞとやってくるのもたのしい。
ご飯はちょっとやわらかめ。味噌汁は味噌をたっぷり溶いてたいたどっしり味で、それそのもので十分おかずになりそうな味。汁かけご飯を思わず作ってしまいたくなる、一晩寝かした汁っぽさにニッコリします。ボクは好き。

セルフの食堂のおかずは当然、作りおきが前提だけど、なぜだか冷たい感じがしない。
冷めている。
けれどどこかあったかで、作っている人の顔がみえるから…。
あるいはお店の雰囲気自体が、料理をあたたかく感じさせてくれるのでしょう。
かっちりやいた卵焼き。表面焦げてて、甘さは控えめ。塩で味を整えたもの。
サクッと歯切れてなめらかで、ウスターソースをかけるとおいしいご飯のおかず。
煮た鯖の甘くて味の濃いところ。母が作る鯖煮と同じ。田舎の味なんだなぁ…、ってほっこりします。脂は強くてけれど新鮮。食べるとひんやり、唇テカテカしちゃうよう。皮はトロンとなめらかで、身と一体で骨だけキレイに残して食べた。
出汁をたっぷり含んで仕上がる高野豆腐は、口の中をみずみずしくするおごちそう。自分じゃあまり作らないけど、大好物でこういう店で見つけると思わず手が出る。満足す。

カウンターの上に並んだ調味料。醤油にソースが2種類、お酢に豆腐用の出汁醤油。胡椒に七味に一味に塩と実家に戻ると食卓にいつも並んでるモノが見事に並んでいるのにまたニッコリ。
おふくろの味は、料理だけじゃなく雰囲気、空気もおふくろ的。
目の前にタクシー乗り場があるということもあってかタクシーの運転手さんがよくやってくる。今日はそこに中国からの観光客がやってきて、うれしそうに料理を並べて食べていた。朝のピークが終わったからか、ちょっと静かになった店内をパシャリととると、昭和な空気が流れてた。

 

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コメント

  1. Comfort

    榊様、いつも楽しいブログ、ありがとございます。

    今回の「一膳飯屋」のような食堂、内角低めの直球でノックアウトです。
    看板に「お食事例・・・合計550円」って、、、出来過ぎです!!!

    こういう店、少なくなりました。(チェーン店は増えましたが、、、)
    「優しい味」で、かつ、「美味し過ぎない」、と想像してみました。
    日本人は「一汁一菜」で健康を維持してきましたが、そのお手本みたいですね。

    以下、上記と矛盾するような話です(私には矛盾は無いのですが)。
    食材流通や調理技術/保存技術の進歩により今や庶民でも美味しい食事が
    出来ます。とても幸せな事だと思います。

    なのに昨今の「繊維質中心」、「1日30品目以上?」、絶望的なのは
    「糖質制限(え~っ!)」、近視眼的な発想で悲しくなります。

    以前、榊様のブログで「丼飯で焼肉を“ワシワシ”食べる」旨の記事を拝読しましたが
    まさに「感謝の気持ちで頂く」「無心で美味しいと思って頂く」
    「同席の人達と楽しく頂く」が伝わってきて自分の事のように嬉しかったです。

    こういう気持ちで食事をしていれば特段「栄養バランスを考える」とか
    「カロリー計算」なんて全く不要だと思います。

    今の日本人って「食事(健康)に注意する」を通り越して「考え過ぎる」、
    暴言を承知で言えば「食事や健康に異様に拘る“精神病”状態」です。

    人類の歴史は飢餓の歴史、今のような食事が出来る事は人類史上奇跡かも?と思います。感謝の気持ちで食事をすれば大筋外れはしないと思うのですが。

    愚痴っぽい書き込み、失礼しました。

    追伸)コメント欄の皆様の書き込みも素晴しいです。

    • サカキシンイチロウ

      Confortさん
      一食一食を神経質にバランスよく食べなくちゃけない的な強迫観念にかられたような食事スタイル。息がつまりますよね。
      目の前の食べものに感謝しながら、みんなでたのしく食べるとココロが健康になってくれます。
      それと同時に、自分の体や食欲に謙虚に耳を傾けると、体が必要としているモノを食べたくなったりもするものです。肉ばっかり食べてると、最近、野菜を食べてないなァ…、さみしいなぁって思ってそのさみしさを埋めるような食事を探す。
      大きなサイクルで食のバランスがとれればそれでいいのだ…と、勝手に思って生活をしております。

      元気のでるコメントありがとうございます。

  2. 匿名

    学生時代通ってました。ご飯は「小の小」も。友人は「小の小、味噌汁ぬるいの」って言ってました。地元だけど行けてない。懐かしい。

    • サカキシンイチロウ

      匿名さん
      小でもたしかにたっぷりでした。味噌汁ぬるいの…、って注文も、急いでるときにはそうだろうなぁ。だって、本当に熱々だものって思いました。
      まだ一ヶ月もたっていないのに、なんだかなつかしく感じます。

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