釜山行き

映画を觀ます。韓国映画。
「新感染」というパニック映画。とあるウィルスに冒された人たちがゾンビ化して人を次々襲っていく…、という物語。
いわゆるゾンビ映画の一種で、ゾンビ映画好きとしては観ておかなくてはと思ってそれで。

いきなりはじまります。
何が理由でとか、どのような経緯でパンデミックが起こっただとかと言った状況説明をほとんどすべて端折った上で、映画スタート5分くらいにしてすでにゾンビがやってくる。
テキパキしてます。
中身が無いから何度も同じようなシーンを繰り返したり、ワザワザ物語を遠回りさせたりするのが得意な日本のドラマにはない疾走感が最初は観ていて心地よい。
映画のリズムは心地よいんだけど、ゾンビ対人間の対決のさまはかなり壮絶。
ゾンビを殴り、ぶちのめしては次のゾンビに立ち向かっていく。
アメリカ映画と違って拳銃パンパンといかない韓国というお国柄…、すべてが素手かバットや棒で戦うシーンの連続。
力が入ってしばらく観てると疲れ果ててくる。映画をみながらこれほど声が出、肩に力の入った映画はひさしぶり。

韓国の新幹線「KTX」の車内が主なる舞台になってて、だからほとんどすべての乱闘シーンが狭い列車の通路においてなされるのです。だからゾンビ何十体対人間ひとりという戦いが成立する。
しかも高速で移動する列車の中。
前へ前へと疾走する閉塞空間の中を、安全な車両に向かって前へ前へと戦いながら移動する、どちらも不可逆的に前進し続けるというスピード感が際立つ設定。
ゾンビの動きが特徴的で、今までみたこともなかった不気味さがあり、日本映画やアメリカ映画と違って出て来る俳優さんたちの映画界でのポジションがわからないから、何がおこるかわからぬ不思議なリアリティがあったりもする。

たのしめました。
ただ、テレビCMで仕切りに言ってる「泣けるほどの感動」があったかというと、そりゃ、言い過ぎだろうなぁ…、って思う。
自分をなげうってでも人を助けようと覚悟し、そのように行動する人たちをみて、ジンワリ、胸が熱くなるような感動を味わうことはできる。
そもそも製作者がこれを泣ける映画として作ったか…、というと、そんなコトはないだろうなぁ…、と思うから、泣ける映画と思って見ると肩透かし。今の日本では「感動=泣ける」というような風潮があって、笑える感動とか怒りの感動とかさまざまな感動を作ったり、受け入れたりするコトが苦手になってるように思えたりする。
ちなみに題名の「新感染」。
オリジナルのタイトルは「釜山行き」。英語の題名も「Train to Busan」。この映画は「新しい感染」がテーマではなく、釜山に行かなくてはいけない理由がテーマの映画。そして誰が無事、釜山までたどり着くのかとハラハラするのが正しい見方で、だからバカな邦題をつけたもんだなぁ…、ってそれが残念。しかもサブタイトルが「ファイナル・エクスプレス」。笑止千万。笑っちゃう。

コメント

  1. としお

    昨晩NETFLIXで観ました。
    こちらでは英語版なので「Train to Busan」でしたが、孫が、娘夫婦と日曜日の午後観たといることで、晩飯が終わるとすぐに、こういうのを観ると私が泣くだろうと面白がり、私のベッドルームのTVをセットして一緒に観ました。
    こういうのでは泣きませんね。私が泣くのはアメリカ映画でも人情物です.
    例えば「Driving Ms daisy」みたいなもので、さらに「ゆったりとした良き時代」と言う背景にも弱いのです。
    娘が何回も私の部屋に来て、私が泣いていないかチェックしていました。娘は泣いたそうです。

  2. サカキシンイチロウ

    としおさん
    Driving Ms Daisy。
    ボクも泣きました。ボクは人がしみじみとしたシアワセを噛みしめるような映画、シーンで泣いちゃいます。人がどんなに苦悩しようが悲しもうが、それがきっかけで泣くことはない。だからこの映画では泣くよりハラハラの方が先にたちました。

  3. としお

    なるほど、「人がしみじみとしたシアワセを噛みしめる。」ですね。ありがとう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。