明るい不倫は罪深い

永野芽郁と田中圭の騒動がおそらくしばらくずっと続くのでありましょう。
ドラマ好きの友人が「田中圭はいつかしでかすに違いない」とずっと昔から言っていて、その言葉の通り数々の小さなしでかしを繰り返し、挙げ句の果てのこの騒動です。

不倫騒動といえば広末鳥羽事件が記憶に新しく、そのことを鳥羽周作的立場から書いたこともある。

その騒動も今回の騒動も共通しているのが「とても明るい不倫」であったということ。
昭和において不倫という言葉にはどこか暗くてジメジメしているイメージがつきまとっていたものだけど、平成、令和と時代が進むに従って当事者の明るさが目立つようになってきた。

暗い不倫には悲壮感が漂い同情や共感が忍び込む余地があるけど、明るい不倫にはその余地がない。
そして今日は不倫に対する一考察。
そもそも同性を愛してしまうという古い倫理に照らし合わせば不倫なボクが、不倫のことを論ずる無礼を許されたしとおもいつつ…。

↓ 下の画像をクリックするとnoteのリンクが開きます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。