割れない器がいたす悪戯

朝、ルノアールでのんびりと。
よくやっているチェーン店だと思うのですネ。
カフェやセルフスタイルのコーヒー専門店が次々お店を増やす中で、喫茶店として営業を続けていける。
ただそれだけでもスゴいコトで、しかもお店の人たちの教育ほどよく行き届き、どこのお店でもいつであっても嫌な気持ちにならないステキ。
特別ではなく日常的で、普通のコトをずっとし続けやれるというのが外食産業の今においては尊くしかもむつかしい。
新商品にたよることなく、喫茶店にあってほしいものはもれなく網羅しているところもまたいい感じ。ただその良さも、今や「ゆったり座れて追い出されなく心置きなく仕事ができる」という部分の評価に押され気味であるというのがいささかちょっと悩ましい。

椅子の生地、床のカーペットも定期的にキチンと張り替え、お客様を出迎える姿勢がしっかり伝わってくるのも気持ちいい。系列店のロゴがプリントされた分厚いおしぼりを収めた袋も気合がはいった証拠でしょう。
手軽な値段の朝食メニューからトーストサンドがなくなっちゃった。
それでグランドメニューのハムトーストを作ってもらってカフェオレ追加。しめて1200円というちょっとした出費ではある。でも試す。
ハムとトーススト「サンド」と名乗るにはパンが分厚く、なるほどだから「トースト」なのでしょう。ただざっくり歯切れる乾いたパン、その焼き加減はなかなかによく、悪くないなぁ…、と感心します。

でも感心できないのが、なんとお皿がプラスティック。
以前は陶器の皿だったのに、コストダウンの嵐の中でこんな無様になっちゃった。
先日、出汁にこだわる和食の店の茶碗がプラスティックに変わって愕然とした。
それに比べれば直接手でさわる機会の少ないお皿。
しょうがないかとも思うのだけど、それでもテーブルに置いたときの「カタン」と軽くて頼りないプラスティック独特の音に気持ちが冷めた。
どうしたんだろう…、と思ってテーブルの上をあらため眺めたら、カトラリーを入れた器もプラスティック製。ただ、このなめらかで優雅な造形はプラスティックならではのものだから、プラスティックである理由がある。でもお皿はなぁ…、どうなんだろう。かなりさみしい。

しかも割れないお皿を扱っているからなんでしょう…、厨房の中が騒々しい。
お皿を投げるような音が客席まで響いてくるのね…、それがカチャカチャじゃなくてカランカランと人工素材同士がふれて跳ねひきおこす賑やかな音。ときおり、クワンクワンと反響するような音までしてきて、あぁ、貧しいってしみじみ思った。
手に触れぬお皿ぐらいはと思っておこした判断なのでしょう。でもこの飲み物つきで1200円という単価が急に高く思えた。それになにより器を雑に扱う気持ちが、お客様まで雑に扱って平気なようにならなきゃいいなぁ…、ってガラスのグラスに入ったカフェオレ、ゆっくり飲んで気持ちの調子をととのえる。

コメント

  1. りんご

    親が共働きだったため、父方の祖父母と過ごす時間の多かった私は立派な孫馬鹿(?親馬鹿の孫バージョンですね)です。
    それこそ赤ちゃんの頃から一緒におりましたが、覚えている限り食器はいつも大人と一緒の物でした。
    大好きな人が大切に扱う物は、いくら子供だってわかります。
    投げようなんて思ったこともありません。
    おじいちゃんとおばあちゃんを投げようなんて、絶対思わないですもんね。

    • サカキシンイチロウ サカキシンイチロウ

      りんごさん
      アメリカで使われる「銀のスプーンをくわえて生まれた」っていうフレーズ。
      何の苦労もなく生まれて育つ裕福な家のこの事をいうフレーズですが、もしかしたらそのうち「プラスティックを手にして育つ」という言葉が生まれてしまうんじゃないかしら…、って思うほどに最近、割れない食器が増えました。
      それが当たり前で育った子たちが、割れる器にであったとき、それを不便で劣ったものと考える時代がくるかも…、と戦々恐々としております。

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